朝のコーヒーが冷めるまでに知った、再生医療という選択肢

ヒト幹細胞

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窓から差し込む十月の斜光が、カップの縁をなぞるように揺れていた。友人が淹れてくれたコーヒーはまだ少し熱くて、私は両手で包むようにして持っていた。彼女が話し始めたのは、その湯気が静かに立ち上る頃だった。「最近、ヒト幹細胞の治療を受けたんだ」と、何気ない調子で。

正直なところ、私はその言葉を聞いたとき何も返せなかった。幹細胞という響きには、どこか近未来的で、自分には遠い世界の話のような印象があったからだ。けれど彼女の表情には、どこか穏やかな確信があった。カップを置く音がやけに静かで、その仕草に私は妙な説得力を感じていた。

ヒト幹細胞を用いた再生医療というのは、簡単に言えば、体が本来持っている修復力を引き出す仕組みだという。肌の細胞に働きかけることで、内側から整えていく。美容という枠組みで語られることも多いけれど、それは表層だけの話ではない。組織そのものに働きかけるという意味では、もっと根本的な営みに近いのかもしれない。

彼女が通っているクリニックは、都心の静かな通りに面した「リジェネラ・メディカル」という名の施設だった。聞けば、施術前には必ず医師とのカウンセリングがあり、体質や目的に応じて培養液の種類や投与方法を調整するのだという。費用については、決して安くはない。一回あたり数十万円という数字が現実的なラインで、継続的に受けるとなればそれなりの覚悟が必要になる。けれど、彼女は「これは自分への投資だと思った」と静かに言った。

そのとき、私はふと小学生の頃の記憶を思い出していた。理科の授業で習った「細胞分裂」という言葉。教科書に載っていた図を、何度も眺めていたことがある。あの頃は、それがこんなふうに自分の人生と交わるなんて想像もしていなかった。

彼女は施術後、肌の質感が変わったと感じたそうだ。それは派手な変化ではなく、朝起きたときの手触りや、夕方になっても崩れにくくなった化粧のノリといった、ささやかな実感の積み重ねだった。光の当たり方によっては、少し透明感が増したようにも見える。彼女自身も「劇的に何かが変わったわけじゃないけど、確かに違う」と笑っていた。

再生医療という言葉には、どこか大げさな響きがある。けれど実際には、こうして日常の中にそっと溶け込んでいくものなのかもしれない。私がカップを口に運んだとき、コーヒーはすっかり冷めていた。あわててもう一口飲んでみたけれど、やっぱり冷たくて、思わず顔をしかめてしまった。彼女はそれを見て、少しだけ笑った。

ヒト幹細胞を使った美容医療は、確かに費用面でのハードルがある。それでも、選択肢として知っておくことには意味があると思う。自分の体をどう扱うか、どこまで手をかけるかは、誰かに決められることではない。ただ、知らないまま過ごすのと、知った上で選ぶのとでは、人生の質が少しだけ変わる気がする。

窓の外では、街路樹の葉がゆっくりと色づき始めていた。季節は移ろい、体も少しずつ変化していく。その流れの中で、どんな選択をするかは自分次第だ。彼女の話を聞きながら、私は少しだけ未来に興味を持ち始めていた。

組織名:合同会社ニクール / 役職名:代表社員 / 執筆者名:蘭義隆