朝のコーヒーカップが教えてくれた、肌の再生という希望

ヒト幹細胞

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十一月の冷たい朝、私はいつものようにキッチンで白湯を沸かしていた。窓の外ではまだ薄暗く、街路樹の葉が風に揺れる音だけが聞こえる。そんなとき、ふと鏡に映った自分の顔を見て、ああ、と思った。目の下のたるみ、ほうれい線のくっきりとした影。化粧品では隠しきれない時間の痕跡が、そこには確かにあった。

ヒト幹細胞という言葉を初めて耳にしたのは、半年ほど前のことだ。美容クリニックを訪れた友人が、施術後の肌の変化について興味深そうに語っていた。彼女の話によれば、ヒト幹細胞を用いた再生医療は、肌そのものが持つ力を引き出すのだという。単に表面を整えるのではなく、細胞レベルで働きかける。その言葉には、どこか説得力があった。

私が最も惹かれたのは、その仕組みの合理性だった。ヒト幹細胞培養液には、成長因子やサイトカインといった、肌の再生を促す成分が豊富に含まれている。これらは本来、人間の体内に存在するもの。外から補うことで、衰えた細胞の働きを活性化させるという考え方は、自然で理にかなっている。私たちの肌は、もともと再生する力を持っているのだから。

もちろん、費用については現実的に考える必要がある。ヒト幹細胞を用いた施術は、一般的な美容医療に比べて高額になることが多い。クリニックによって差はあるが、一回あたり数万円から十数万円という範囲が目安だろう。決して安くはない。けれど、長期的な視点で見たとき、その投資が持つ意味は大きいかもしれない。表面的なケアを繰り返すよりも、根本から働きかける方が、結果として効率的だと感じる人も少なくないはずだ。

先日、カフェで偶然再会した大学時代の友人が、驚くほど若々しい印象だった。彼女が注文したのは「ルミエール・ブラン」という名前のハーブティーで、その香りが淡く漂ってくる。何か特別なことをしているのか尋ねると、彼女は少し照れたように笑って、ヒト幹細胞の施術を受けていると教えてくれた。劇的な変化ではないけれど、肌のハリや透明感が少しずつ戻ってきたのだと。その話し方には誇張がなく、だからこそ信じられた。

ヒト幹細胞再生医療の魅力は、派手さではなく、静かな確かさにあるのかもしれない。一度の施術で何もかもが変わるわけではない。それでも、細胞が応答し、少しずつ本来の力を取り戻していく。その過程には、時間がかかる。けれど、そこには希望がある。自分の肌が、まだ諦めていないという実感。

子どもの頃、膝を擦りむいたとき、母がよく「体は自分で治そうとしているのよ」と言っていたことを思い出す。かさぶたができて、やがて新しい皮膚が現れる。あの頃の私は、それを当たり前だと思っていた。でも今、大人になって改めて考えると、その力は決して失われていないのだと気づく。

朝のキッチンで、私は再び白湯をカップに注いだ。少しこぼれてしまったけれど、それもまた日常の一部だ。ヒト幹細胞再生医療という選択肢を知ったことで、私の中に小さな変化が生まれている。それは、未来への期待というよりも、自分自身への信頼に近いものかもしれない。肌は、まだ応えてくれる。そう思えることが、何よりも心強い。

組織名:合同会社ニクール / 役職名:代表社員 / 執筆者名:蘭義隆